【読書メモ】自分のための人生 ウエイン・W・ダイアー 三笠書房

*他人のために、しかも自分の人生にとってまったく重要ではない人間のために心が動揺するほど、自分は安っぽい人間ではないはずだ
  
*感覚をとぎすませて一瞬一瞬を受け止め、過ぎ去った過去や、いずれ訪れる未来にはそっぽを向くことだ。自分の持てる唯一のものとして今この瞬間をつかむのだ。 「願う」「望む」「後悔する」といったことは、現在を回避するための、もっともありがちな、そしてもっとも危険な行為だということを肝に銘じてほしい
  
*つらい気持ちになるのは、たいてい自分がやらなかったことのせいである。 となれば、答えは明らかである。とにかくやることだ
  
*モチベーションは、自分に不足しているものを補おうとする必要性よりも、むしろ成長しようとする欲求から生じるようだ
 
*こと心の変化に関しては、すぐにも効果が表れるのが当然と考えたり、一度試してみただけで即座に身につけられると高をくくったりする人が多いようだが、それは間違っている
 
*自分自身を愛せよということを、誰も心には留めていないようだ。けれども、幸福を得たいと思うのなら自分を愛することを学ばなければならない
  
*選択肢は二つだけ──現実を変えるか、見方を変えるかだ
 
*理想に一歩でも近づくように、軌道修正していくのはきっと楽しい作業である。自分には改めるべき点があるからといって、自分はつまらない人間だと思う必要はまったくない
*あなたは人に認められたいと努力したり、あるいは認められなかったことを気にしたり──そういうことに時間を浪費しすぎてはいないだろうか。 人に認められたいと思うのは、それが必要だからというよりも、むしろ一つの欲求である
 
*他人の承認や賛同を得なければ気がすまないという習慣は取り去らなければならない。 これについて疑問を差しはさむ余地はない。自己実現を果たすつもりなら、きれいさっぱり取り除かなければならないのだ。 称賛をやっきになって追い求めるのは心理的に逃げ場のない袋小路であり、自分にとって利益となるものは何もない
 
*他人の同意なしにはやっていけないということになると、いったいあなたにとっての真実とは何なのだろうか。いつもほめられたいがために行動し、「ほめてほしい」というシグナルを発信していると、誰もその人に対して率直にふるまってくれなくなる。 それに、「自分はこう考え、こう感じている」ということを、人生のいついかなるときにも自信をもって述べられなくなる。自分自身を、他人の意見や好みのために犠牲にしてしまうのである
 
*一番他人の賛同を得そうな人は、決して賛同を求めず、望まず、そんなことに心を奪われたりしない人なのである
 
*自分の身近にいる大勢の人を理解することもない。またその必要もないのだ。他人が自分と違っていてもかまわない
 
*人は誰でも反対に直面したときに、多かれ少なかれ失望する。 しかし、その失望に対して免疫を持つことこそ、人生を自由にしてくれ
 
*ずっと変わらずにいることを正当化する手段として、レッテルを利用するのは簡単である
 
*なぜ自分が変わろうとせず、変わることを考えようともしないのか、その言い訳である
 
*「私は○○である」を持ち出して過去にしがみつくおかげで手にするメリットは、一言で言えば「回避」である
 
*人間の一生でもっとも無益な感情が二つある。 「すんでしまったことに対する自責の念」と、「これから行なうことへの不安」である。 そう、自責と不安は、最大の時間とエネルギーの浪費である。この二つの間違った心の状態についてよく考えてみると、お互いがどのように結びついているかがわかってくるだろう
 
*自責の念を利用してあなたを操ろうとする人たちには、いくら失意を表されても、自分はそれに翻弄されたりしないとハッキリ言うことだ
 
*不安を理由に活動しないでじっとしているのは、頭のいいやり方だし、不安な気持ちでいるほうが、活動的に何かに打ち込むことより、得るものは少なくても、明らかに楽なのである
 
*不安に対するベストの対抗手段は「行動」なのである
 
*不安を拭い去るもっとも強力は武器は、自分の人生において、前に進もうというみずからの決意なのである
 
*「わざわざ努力するより、自分が慣れ親しんだもので我慢するほうがいい。なぜなら変化には不測の事態がつきものだから」といった考えを捨ててみよう。 自分は弱い人間だから、未踏の領域に入ろうものなら、すぐにガタガタになってしまうという人もいるだろう。しかし、これは誤った考えである
 
*何かをするには理由がなくてはならないと思い込んでいる向きもあろう。 「いったい何のために?」というわけだ。 バカバカしい!やりたいことなら何をやってもよいのだ。理由は一つ、やりたいからやるのだ。他に理由はない。 自分のやることなすことに理由はいらない。何事にも理由を見つけようという考え方をすると、新しい、ワクワクするような経験からは遠ざかってしまうことになる。 子どものころは、ただ好きだからというそれだけの理由で、一時間もバッタと遊んでいられたのだ。山登りや森の探検にも出かけただろう。 その理由は? 「そうしたかったから」である。 しかし、大人になると、ものごとにはちゃんとした理由をつけなくてはならないと考えるようになる
 
*一日を、単に「一万回」くり返していないか
 
*自分の自発性をチェックしてみよう。 自分は何か新しいことに対してオープンだろうか。それとも習慣として身についた行動をかたくなに守っているのだろうか
 
*柔軟性のない人間は決して成長しない。いつもどおりの同じやり方で、ものごとを片づけるだけである。
 
*最近、広く知られている金言集の改訂作業をした。私が編集した格言の中に、「成功ほど失敗するものはない」というのがある。 つまり成功からは何も学べないからなのだ。何かしら学び得るただ一つのもの、それは失敗である。 成功は、私たちがやみくもに信じていることをいっそう強固にするだけだ。
 
*自分とは違うタイプの人に多く会えば会うほど、今まで自分がどれほど損をしていたか、自分の恐怖心がどれほど愚かなものだったか、よくわかるだろう。 これを見抜くことができれば、未知の世界は避けるべきものではなく、むしろどんどん探検すべき場所になるだろう
 
*自分をコントロールする拠点を、外から自分の内部へ移すことなのである。 そうして、どんな気持ちを味わっても、その気持ちに対する責任は自分で引き受けるようにすることだ
 
*実際、先に延ばすということ自体存在しないのであって、本当はただ「やるかやらないか」のどちらかである。 やらなかったことは、先に延ばされたというよりは、むしろただ単に、「今、やらなかった」というだけのことにすぎない
 
*ものごと(環境、状況、できごと、世間)というのは、おのずからよくなるなどということは決してないのである。 人生の問題が以前よりうまくいくようになるとしたら、それはあなたがそうしようとして積極的に行動を起こしたからにほかならない。
 
*退屈するということは、すなわち、「今、このとき」を自分なりに豊かに過ごす能力がないということである
 
*たいていの怒りは、世の中や自分の周囲の人間に、今のような状態ではなく、自分の望むような状態になってもらいたいと願う結果、生じるのである。 つまり、自分が「そうあって欲しい」と望んでいるのに、自分の思いどおりになっていないから怒るのだ
 
*世の中全体においては、あなたが何をしようと──あなたが腹を立てようが立てまいが──そんなことはナイアガラの滝にグラス一杯の水を投げ込んだ程度の影響しかない。あなたが笑いを選ぼうと怒りを選ぼうと、そんなことは世界にとって、どっちだっていい。 しかし、笑いを選べば現在が楽しくなり、怒りを選べば現在がみじめなひとときになる
 
*自分や自分の人生のことをあまりに思いつめると、深刻に考えすぎることのバカバカしさを、客観的に気づくことができなくなる
 
*自分が好きだから、ありのままの自分を受け入れる。同様に、世の中のものごともそのまま受け入れる。今とは違うふうであってほしいなどとは思わない。他者の人間らしさに対しても、腹を立てるのは筋が通らないと思っている
 
*心にわだかまりがなく人生を楽しめる人は、とても好奇心が旺盛である。 飽くことのない好奇心のかたまり。毎日毎日、新しい知識を求め、成功しようが失敗しようが、おかまいなしにすべてのことに挑戦してみる。 うまくいかなかったり、多くの成果を挙げられなかったら、そのときは後悔してクヨクヨせず、いさぎよくあきらめてしまう。 彼らは学び続けるという意味で「真理の探究者」であり、いつもワクワクしながら新しい知識に挑戦する。もうこれだけ身につけば十分だとは決して思わない
 
*現在をつまらないと思ったところで自分がみじめになるだけだし、過去から学ぶほうが、過去を咎めるよりもはるかに優れた行為であることを知っている
 
*充実した人生を送っている人たちのもう一つの特質は、その正直さである。 責任逃れをしたり、体裁をつくろったり、嘘をついたりはしない。 嘘をつくことは、自分自身が直面している現実を歪曲してしまうことだと思っている。だから、そういう自己欺瞞的なことはしない
 
*自分にとって大切なものは心の内にある。だから、外的な事柄を客観的に見ることができ、心の内側にある大切なものを脅かすとは考えない。 普通の人には、彼らのこの考え方がなかなか理解できない。大部分の人は、外的なできごとや思想や人間に、簡単に脅かされてしまうからである。 しかし、自立している健全な人というのは、外的なものに脅かされるということがない。そうでない人には、彼らのまさにこういうところが脅威に見えるのだろう
 
*彼らは退屈するということを知らない。彼らにとっては人生のあらゆるできごとが、行動や思考や感動をうながすいいチャンスである。 いかにして、人生のあらゆる場面に、自分のエネルギーを注ぎ込むかを彼らは知っている

 

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